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片倉代々記資料

 十一代 邦憲
 十二代 景範
 十三代 景光
 十四代 健吉
     片倉家蔵

十一代   片倉 邦憲

 小十郎景徳 備中伊豆 片倉邦憲
  父 片倉宗景
  母 茂庭氏五女貞子
 文政元年八月廿七日磐城国刈田郡白石城二ノ丸邸に生ル
 文政七年 手習初
 文政八年 八歳元服
 天保元年 月次出仕御怡被仰上
  〃 伊達下総将監宗衛女愛子ト縁組
 天保四年五月廿日 具足初
 天保五年二月 前髪祝儀
 天保六年十月廿五日 愛子ト婚礼
 天保九年七月 備中ト名改
 天保十一年旦月十三日 英山近道狩
 天保十二年 伊豆ト名改
 天保十三年 父宗景病気ニ付名代御奉公ヲ願出ルモ緩々保養仕ル様仰出サル
 弘化二年 槍術ノ傳授ヲ受ク
 弘化四年六月十五日 馬術ノ傳授ヲ受ク
 嘉永二年二月 狭川先生ヨリ兵法ノ傳授ヲ受ク
 安政五年五月十六日 虎子銘大三挺ヲ拝領
  〃 十二月廿六日 思召ヲ以テ若年寄格ノ身列トナル
 安政六年 太守公ヨリ外記流虎子御直傳授ヲ受ク
  〃 三月十七日 右御傳授開ヲ宮城県深沼ニテ上覧ニ供ス
 萬延元年十二月 御野初一騎打ノ先陣ヲ仰付ラル
 文久二年七月廿二日ヨリ十月廿日マデ歌津埼両奥巡見
 元治元年六月朔日 宗景隠居 景徳家督ヲ相続シ白石城主トナル
  〃 七月 御前ニ於テ小十郎邦憲ト拝領ス
  〃 十二月廿八日 御一家上座ヲ返上ス
 慶應二年五月十七日 上府惣士見送
  〃 三年二月廿日 邦憲妻清子ヲ幸子ト改
 慶應四年二月一日 武芸制導ノ為御定方御免
  〃 二月廿九日 徳川慶喜會津追討ノ命有リ 邦憲会津御発進御先備先陣を仰付
  〃 四月十三日 伊達慶邦公白石ヘ宿城
 閏四月廿一日 同仙台帰城
 閏四月廿四日 邦憲白石帰城
  〃 六月 日光宮様米沢ヨリ白石御宿城 七月十三日ヨリ帰城
  〃 九月十四日 伊達慶邦謝罪ヲ仰上ラレ城外ヘ御謹慎 四條殿
仙臺城ヘ入城地を召上ラレ慶邦公亀岡ヘ謹慎
  〃 十月八日 白川口総督府参謀渡部清左ヱ門白石着相渡サル書付
        片倉小十郎江
 主人陸奥降伏謝罪之儀既ニ承居候就而者明九日四ツ時當城可相渡候事
        白川口総督府             参謀

 明治元年十二月 居城ヲ官府ニ納レ陸前国宮城郡仙臺ニ移轉ス
 明治二年九月十三日 御沙汰書ヲ拝ス
        片倉小十郎
 北海道開拓之義ハ方今之急務ニ付追々御祥處分モ有之候得共重大之事柄全地一時ニ御 手ヲ可被為着目的モ難相立折柄其方義之憚艱難自ラ彼地ヲ跋渉シ開拓致度志願之趣神妙之至被思召北海道 開拓御用被仰付候条家来其外有志之徒相募自費ヲ以漸次移住屹度實効相立候様御沙汰之事
  己巳九月
     太政官

 同日御辞令書
     片倉小十郎
 膽振国幌別郡
 右一郡其方支配被仰付候事
  己巳九月
 
 同年十月十九日支配所北海道膽振國幌別郡ニ移着
 
 明治三年五月廿三日御達書
     片倉小十郎
 先般石川源太江北海道膽振國室蘭郡支配被仰付置候處今般 被免候ニ付同郡之内別紙之通其方江増支配被仰付候条勉励速ニ 實効相立候様可致事
  但石川源太陪隷移住之者共其方ヘ管轄被仰付候事
  庚午 五月   太政官

 同日御辞令書
     片倉小十郎
 膽振國室蘭郡ヘケレウタ村之東字ホロシヨンケ
 右以東増支配被仰付候
  但チリヘツ昼休所建物并ヱトモ岬遠見番所砲臺處處 立物等都而被下候尤昼所之義ハ在来之通相賄可申備馬 三分ノ一被下候間緒官員通行ノ節ハ土人人別割ヲ以會所ノ 継立助務可致事
  庚午 五月   太 政 官

 同年六月廿日仙臺藩廳ヨリ御達書
     片倉小十郎
 其方義北海道開拓志願之上至仁之御詮議ヲ以支配地被仰付 旧主従段々盡力追々移住相成候ニ付不日實効可相立候得共 未顯然タル義モ無之内今般増支配被仰付候ニ付テハ一層憤励速 ニ實効相立候様可有之候事
  庚午 六月   勤 政 廳

 同年十月十五日按察府ヨリ御達書
     片倉小十郎
 膽振國幌別郡支配所塉土殊ニ開墾ニ付段々 盡力ニ候得共失費不少極而難渋之趣相聞得旁以格別之御詮義有 之白石城取毀賣却代金其方江被下候間右入費ニ相充候様可致事
  但角田縣江申出可受取事
  庚午 十月   按 察 府

 明治四年八月十八日北海道一般支配被解タル節御辞令
     片倉小十郎
 膽振國幌別郡室蘭郡支配被仰付置候處今般被免候ニ付地所 開拓使江引渡可申候
  辛未 八月   太 政 官

 同時ニ北海道一般江公布特ニ開拓使ヨリ御通達アリ
 今般北海道支配被免開拓使江引渡被仰付候ニ付テハ移住民并米穀 其外漁塩之具及土人江可捨與物品ニ至ル迠各地準備有之分総テ 同使江可引渡事
  但右入費巨細取調同使ヘ可差出事
 一開拓係ノ職員移住ノ輩ハ先其儘居住為致一時出張之輩ハ可為引拂事
  但一時出張ト雖モ其儘居住致度輩ハ可為勝手候条人名取調同使ヘ可申出事
  辛未 八月   太 政 官

 同時ニ仙臺縣江御達書
     仙 臺 縣
 其縣士族片倉小十郎開拓使貫属被仰付候条此旨相達候事
  辛未 八月   太 政 官

 同年九月一日北海道膽振國幌別郡村江轉籍
 明治五年正月四日開拓使ヨリ御達書
     片倉小十郎
 幌別郡室蘭郡之内支配被免候處土地人民引継迄之間従前之通可取扱事
  壬申 正月   開 拓 使

 同年四月十三日開拓使御達書
     片倉小十郎
 其方旧家来幌別郡江移住之面々當壬申四月ヨリ三拾六ケ月之間 開墾為扶助飯米并塩料規則之通被下置候事
  壬申 四月   開 拓 使

 同上
     片倉小十郎
 石川源太旧家来室蘭郡江移住其方管轄之面々当壬申四月ヨリ三拾六ケ月之間 開墾為扶助飯米并塩料規則之通被下置候事
  壬申 四月   開 拓 使

 同上
     片倉小十郎
 此度格別之御詮議ヲ以其方旧家来并石川源太旧家来幌別室蘭両郡 移住之面々江開墾扶助被下置候事ニ付テハ猶又農業出精可致旨可申聞事
  壬申 四月   開 拓 使

 明治●(判読不能)年 甲戌 二月十四日
 刈田嶺神社祠官 縣令宮城時売申渡
 明治十九年二月十日病卒六十九歳
 法名 天徳院殿俊山道英大居士 白石町傑山寺片倉家墓地ニ葬ル
 室 愛子明十二年二月四日卒
 法名 天眞院殿本源自性大姉 白石町傑山寺片倉家墓地ニ葬ル

 大正七年八月十五日北海道長官ヨリ表彰
      故 片倉邦憲
 夙ニ本道拓殖ニ志シ明治二年幌別郡ノ支配ヲ命ゼラルゝヤ舊領白石ヨリ 藩臣六十六戸男女三百九十二人ヲ移シテ開墾ニ従事セシメ拮据経營棒●(判読不能) ヲ芟リ道路ヲ通シ養蠶牧畜ヲ以テ生計ノ基礎トナシ桑園ヲ設ケテ野桑 三萬株ヲ植エ牧場ヲ開キテ牝馬八十頭ヲ増シ学校ヲ輿シ醫院ヲ設ケ遂ニ克ク 幌別鷲別ノ諸村ヲ開始シ更ニ開拓使ノ保護募集ニ應シテ舊臣二百七戸七百五十人 ヲ札幌郡ニ移シテ新ニ白石村ヲ創設スルニ至リシ—ニ辛苦奨励ノ效ニ因ラスンハアラス 茲ニ開道五十年記念式典ヲ擧クルニ当リ其ノ功績ヲ追彰シ為記念銀盃壹箇 ヲ現代男爵片倉健吉閣下ニ贈呈シ併セテ感謝ノ意ヲ表ス
  大正七年八月十五日
  北海道廳長官正四位勲三等 俵 孫一郎

 大正九年九月十一日札幌郡白石村ヨリ表彰ヲ受ク
      故 片倉邦憲
 夙に本道拓殖ニ志シ開拓使ノ保護募集ニ応ジ舊臣ヲ映シテ新ニ白石村 ヲ創設スルニ至リシハ一ニ辛苦奨励ノ效ニ因ラスハアラス茲ニ開村五十年記念式ヲ 擧クルニ当リ其ノ功績ヲ追彰シ為記念銀盃壹箇ヲ現代男爵片倉健吉閣下ニ贈呈シ併セテ感謝ノ意ヲ表ス
  大正九年九月十一日
  札幌郡白石村長 渥美兵三郎 印



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十二代   片倉 景範

 景福 豊七郎 片倉景範
  父 片倉邦憲
  母 伊達將監宗衛女愛子
 天保九年後五月五日磐城国刈田郡白石城二ノ丸邸ニテ生ル
 〃十三年三月 袴着ノ祝
 嘉永六年十一月六日 具足着ノ祝
 安政二年 男作
 安政三年十月十八日 中村日向女梅子ト婚礼
 〃四年三月十八日 梅女離縁中村家ヘ引取
 〃四月朔 御前御相手ノ仰ヲ蒙ル
 〃●(判読不能)朔日 芝多對馬女從子太守思召ヲ以テ後室ニ仰ヲ蒙ル
 〃八月四日 従子ト婚禮
 安政五年四月四日 水戸公御進物ノ鎗穂十本拝領ス
 〃六年正月三日 部屋住ニテ御野初御先陣ヲ勤ム
 安政六年二月廿六日 豊七郎ト名改
 文久元年十二月八日 甲州流兵学ノ傳授ヲ受ク
     十二月十四日 鉄炮ヲ拝領ス
 文久二年五月 千射ヲ行フ
 〃十一月朔日 御上洛供奉
 文久三年正月十五日 供奉ニ付金四十両下サル
 慶應二年六月十五日 景範ト改ム
     八月三日 戸沢口ヘ出陣
 明治三年五月 父邦憲ニ從ヒ支配所膽振國幌別郡ニ移住
 明治九年十月廿八日 家督相続
 明治十一年二月札幌郡白石村外二ケ村ニ移住セル旧臣ノ請ヲ容レ 嫡子景光ヲ幌別ニ止メ親ラ上白石村ニ移リ開拓ノ事業ヲ督励ス
 明治十一年七月六日 開拓使ヨリ上白石、手稲、白石三村戸長拝命、 月俸金拾圓
 〃十ニ年 褒賞
 〃十四年 褒賞
 明治十五年三月十四日札幌縣ヨリ札幌区豊平上白石白石平岸月寒五ケ村 戸長拝命准十五等月俸金拾贰圓
 明治十六年七月廿一日 札幌縣ヨリ御用係拝命准判任官月俸贰拾圓
 明治十六年十一月十七日 依願御用係被差免
 明治十六年十ニ月七日 依病退隠
 明治三十五年二月七日 死亡六十四才
 法名 謙徳院殿軌山範公大居士
    白石傑山寺片倉家墓地ニ葬ル



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十三代   片倉 景光

 安政六年五月十三日 磐城国刈田郡白石城内ニ於テ生ル
 明治三年五月 祖父邦憲支配所膽振國幌別郡ニ移住ス
 明治十年二月 札幌白石村外二ケ村移住者ノ請ヲ容レ父景範家族ヲ携ヘ 同地ニ移ルノ後ハ景光幌別郡ニ止マリ専ラ地方拓殖ノ事ヲ奨励ス
   同年四月 西南ノ役起ル開拓使屯田兵ヲ遣リ征討ノ軍ニ從ハシム 同 六月屯田豫備兵ヲ各郡ニ募ル於是旧臣ノ丁壮五十名ヲ結束シ景光之ヲ率イテ自費 従軍セン事ヲ開拓使ニ出願ス軍規ニ類例ナキヲ以遂ニ許可セラルズ依テ 此内十余名ヲ撰別シ屯田兵ノ募ニ應ゼシム
 明治十一年十月 幌別地方開村十ケ年記念トシテ幌別郡各村旧臣移住者ヨリ 景光財産ノ内ヘ畑撰贰拾町歩餽贈アルモ謝シテ之ヲ受ケズ各自ノ財産ト ナサシム蓋ニ明治ノ初メ率先移住シ曠漠無人ノ境ニ入リ櫛風沐雨ノ辛酸 ヨリ得タル地所ナレハナリ
 明治十三年十月七日 家督相續 竹子と結婚
 明治十四年 幌別郡幌別小学校新築費ノ内ヘ金拾圓五拾銭ヲ寄付シ 北海道ヨリ木盃ヲ拝受ス

    膽振國幌別郡幌別村士族
        片倉 景光
  幌別郡幌別小学校建築費ノ内ヘ金拾圓五拾銭差出候段奇秲ニ付為其賞木盃 壹箇并真綿壹杷被下候事
   明治十四年十月廿五日
        開 拓 使

 明治廿一年六月 道路敷地トシテ宅地百三拾壹坪五合ヲ寄附シ北海道廳 ヨリ木盃ヲ拝受ス

    北海道士族
        片倉 景光
 明治二十一年六月中膽振國幌別郡幌別村道路改築ノ際敷地トシテ宅地百三拾壹坪五合 寄附候段奇特ニ候事
   明治二十一年十月三日
        北海道廳長官從四位勲三等 永山武四郎

 明治廿一年八月有珠外郡農産物競優會ヘ葉藍ヲ出品シ二等ヲ得農具ヲ受領ス
 
 有珠室蘭
    四郡農産物競優會
 虻田幌別
 
   膽振國幌別郡幌別村
 藍   片倉 景光
   褒 状
 右審査委員ノ薦告ニ據リ之ヲ授與ス
   明治二十一年十一月十日
 有珠室蘭
    郡農産物競優會長従六位伊達邦成
 虻田幌別
 
 明治廿ニ年十月札幌郡白石上白石手稲三村開村ニ十年記念 トシテ同三村旧臣移住者ヨリ田畑合三拾五町歩景光財産ノ内ヘ 餽贈アルモ過ル十一年十月中幌別郡各村旧臣移住者ヨリ餽贈アリシ ト同ク謝シテ之ヲ還ス受

 同年八月十一月 有珠外五郡農産物競優會ヘ 瓜哇薯外一品出品シ三等賞ヲ受領ス

 有珠虻田室蘭
    六郡農産物競優會
 幌別白老勇拂
    膽振國幌別郡幌別村         片倉 景光
   瓜哇薯
 三等賞(農具壹個)
 右審査委員ノ薦告ニ據リ之ヲ授與ス
 明治二十ニ年十一月十日
 有珠虻田室蘭
    六郡農産物競優會長従六位伊達邦成
 幌別白老勇拂



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 明治二十三年六月 幌別郡幌別小学校鷲別分校建増築費ノ 内ヘ金三円ヲ寄附シ北海道廳ヨリ褒状ヲ拝受ス
    北海道士族
        片倉 景光
 明治廿三年六月中膽振國幌別郡幌別小学校鷲別分校建築費 ノ内ヘ金三円寄附候段奇特之候事
   明治廿三年十ニ月十三日
        北海道長官従四位勲四等  渡邊 千秋

 明治二十四年八月幌別郡公立幌別小学校増築費ノ内 金三円ヲ寄附シ北海道廳ヨリ褒状ヲ拝受ス

    北海道士族
        片倉 景光
 明治二十四年五月中膽振國幌別郡公立幌別小学校増築費ノ内ヘ 金三円ヲ寄附候段奇特候事
   明治廿四年十一月十五日
        北海道廳長官従四位勲四等  渡邊 千秋

 明治二十五年八月 北海道物産共進会へ小豆ヲ出品シ一等賞ヲ得 金牌ヲ受領ス

 北海道物産共進会褒賞
    膽振國幌別郡幌別村         片倉 景光
   小 豆
 子粒農實色澤調整共ニ佳良ニシテ産額亦少ナカラス平素撰種培養ノ 注意周到ナルヲ見ルニ足ル其功特ニ顕著ナリトス
 一等賞(金牌)
 審査委員  山口和三郎
       久嶋 重義
       永根 平教
 審査第一部長正八位南 鷹次郎
 審査委員長 正七位吉田 醇一
 前記ノ薦告ヲ領シ茲ニ賞牌ヲ授與ス
   明治廿五年八月廿五日
        北海道長官従三位勲三等  北垣 国道

 明治廿七年八月日清役起ルヤ即チ旧臣其他有志者貮百貮拾名ヲ糾合 シテ義勇隊ヲ組織シ自費従軍センコトヲ臨時第七師団ヘ出願ス 然ルニ 八月七日義勇団ニ関スル詔勅ノ下ルニ及ンデ許可セラレス翌廿八年 七月之ヲ解隊ス
 
 明治廿七年十二月 日本赤十字社ニ入社シ終身社員トナル
 明治廿七・八年戦役ノ際報国ノ旨意ヲ以テ陸軍軍資ノ内ヘ金貮拾五円、 海軍軍資ノ内ヘ金貮拾五円ヲ獻納シ木盃二個ヲ拝受ス
    北海道膽振國幌別郡幌別村
        片倉 景光
 明治二十七・八年戦役ノ際報国ノ旨意ヲ以テ資ノ内ヘ金五拾円獻納 候段奇特ニ付為其賞木盃二個下賜候事
   明治三十年六月一日
        北海道廳長官従四位勲四等  原 保太郎

 明治廿八年六月 征清軍人家族保護會ヘ入會金拾円ヲ寄附ス
 同年七月第四回内國勸業博覧會ヘ大豆ヲ出品シ褒狀ヲ受領ス

 第四回内國勸業博覧會褒狀
    北海道膽振國幌別郡幌別村
        片倉 景光
 大 豆
     褒  狀
         五百井長平
         大熊徳太郎
   従六位勲六等岡   潔
   審査官   小野孫太郎
 審査總長正四位勲三等  田中 芳男
 審査総長ノ申告ヲ領シ茲ニ之ヲ授與ス
     明治廿八年七月十一日
     總裁大勲位  彰 仁 親 王



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 明治廿九年七月北海道尚武會ヘ入會ス
  同年十二月
    北海道膽振國幌別郡幌別村
        片倉 景光
 明治二十九年六月本縣下海嘨ノ際罹災救恤トシテ金三円恵與候段奇特ニ候事
   明治廿九年十二月十五日
        巌手縣知事正四位勲三等 服部 一三

 明治三十年六月 前述ノ如ク表彰狀ヲ受領ス
 明治三十一年七月二十日 特旨ヲ以テ華族ニ列セラレ男爵ヲ授ケラル
         片倉 景光
    授 男 爵
 御 名 御璽
   明治三十一年七月二十日
   宮内大臣正三位勲一等子爵  田中 光顯  花押
 臣景光世爵ノ榮ヲ賜ヒ併セテ
 聖●(「来」と右が「攵」)ノ辱キヲ拝ス敬テ
 皇祖ノ神霊ニ奉對シ仰テ
 盛旨ヲ欽ミ益々忠誠ヲ致シ永ク
 皇室ノ尊嚴ヲ扶翼センコトヲ誓フ
 ●(「庶}?)幾クハ
 新明此レヲ鑒ミ給ハン●(屋号に使うカネの字)ヲ
   明治三十一年七月二十日

 明治三十四年十一月十七日 室蘭外五郡水陸産物品評会に苹果 を出品褒状を授與される
 明治四十年十二月八日 幌別郡民より銀盃ヲ贈ラル  誠惶頓首某等本郡々民ヲ代表シテ書ヲ
 片倉男爵閣下ニ呈ス伏テ惟ルニ閣下カ其旧臣諸士ヲ率ヒテ本郡ニ移住セラレシハ実ニ 明治ノ初年ニ在リ而テ当時内地ト本道トハ交通最モ不便ニシテ又本郡ノ地タル数十戸 ノ旧土人ノ外更ニ住民ナク従テ道路ナク又素ヨリ耕地アルナシ現今の美園良圃 ハ樹木鬱蒼シ雑艸繁茂スルノミニシテ熊狼ノ馳駆ニ任セ狐兎ノ蹂躙ニ委スルノミナリキ然ルニ 閣下及ビ旧臣諸士戴星蹈月拮据奮勉之ヲ伐リ之ヲ狩リ遂ニ同胞栖息ノ基ヲ開カル其 効績偉大ナリト云ウヘシ茲ニ於テカ府縣ノ人民競フテ本郡ニ移住シ或ハ開墾ニ或ハ漁業 ニ●(子と右が「及」=おい?)々之ニ努メ遂ニ日進月歩ノ現況ニ至レリ 否時時ニ益々発展シ愈々発達ノ季ニ嚮ハントス蓋シ
 閣下創業ノ賜ニシテ郡民ノ供ニ尊重シ俣ニ崇敬シテ措ク能ハサル所ナリトス然ルニ 閣下故アリ今般旧領地白石ニ帰ラルゝト聞キ郡民一同離別之情ニ堪ヘス涙禁スル能ハ サルモノアリ然リト雖モ復之ヲ●(奈の下が禾)に何トモ為ス能ハス故ニ一ハ欽慕崇敬ノ微意 ヲ表シ一ハ閣下及令夫人ノ健康ヲ祝セン為メ郡民一同ヨリ恭シク茲ニ別紙目録ノ通リ銀盃 壹個ヲ贈呈ス幸ニ受納ノ榮ヲ得ハ復洵ニ郡民ノ光榮ナリ某等郡民一同ニ代リ謹テ蕪辞ヲ呈々
   幌別郡幌別外二ケ村戸長
         橋本 義知
   同村総代人 宮武藤之助
   同     佐藤清右衛門
   登別村總代 小原福太郎
   同     鈴木伊三郎
   鷲別村總代 河田 貞助
   同     村ノ 寅藏
 正五位男爵 片倉景光閣下

 明治四十年十二月 幌別村ヨリ宮城縣白石町ヘ移住ス
 明治四十三年 隠退して義嗣子健吉家督ヲ相續ス
       八月三日 健吉襲爵仰付ラル
 明治四十四年九月三日 五十三才ニテ薨ス
   法名 一陽院殿景徳放光大居士
   白石町傑山寺片倉家墓地に葬ル



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   景光君墓碑銘文 草稿写
 君諱景光傑山公十三世孫也生為城嗣幼遭困屯流離間關終効力 君國大振家聲矣願片倉氏 海内望族変葉彪炳光則景綱重長宗景三君尤著租邦憲君時王政復古 宗藩獲讀削其茅土白石在中闔邑臣屬失歸所焉適北門無守邊警不 測君乃慨然欲遷移耕戌以雪前辱乞朝蒙允但戊辰之惟敗財帑己蕩 盡●(上が「粥」、下の字が不明)什器充貲明治三年君臣零 丁背累世墳廟遠入不毛之境曲折惨憺事漸就緒而九年中道捐館考 景範君蒲柳夙退君迺承箕裘躬把来●(「来」に右が「𠂤」) 畚土輦石激勵益勉然貲既罄●(「倉」のかんむりが「穴」) 甚操持愈堅寒凍冷赤手戴霜星芟棘蹈氷月疏沮洳飢渇●(てへんに右が「口」に「亐」) 腹結容膝草廬而鋤盤根探熊狼窟宅而安民居難辛拮据丗有一年忠孝精 誠昊天不棄遂奏拓邊首功克成租考宿志以收家門中興之偉績矣前後投 貲巨萬而所墾ニチ町歩移口千餘漁場牧地亦廣漠嗚呼幌別室蘭之稔 穣新白石之蓊蔚皆是三世上下血涙之所凝也三十一年天子賞功班華族 錫男爵四十年錦衣歸卧内整家道外粛郷風懦夫為立人莫不希其清 適晩年客秋倏病九月初六以正五位易簀距生安政六年五十三歳君 容●(貌の右が良)温雅豊傾美髯而謄氣健剛資性寛慈高明灑 落而摯實謹●(「慇」の左上が「売」)寔有長者之風娶會藩赤城 氏貞淑多助生四女養伊達子爵子配以長女即健吉男也夫事順成 則易逆立則難君處逆難𡚒發大造眞可謂不愧爲傑山公之裔矣衹 片倉氏有今日頼舊邑臣氏之鼎力尤宏并記以垂後昆云爾
   大正元年十一月五日後嗣陸軍歩兵中尉従五位勲六等男爵  片倉 健吉立石
   白石中學校長  伊藤 允美謹撰
           亘理  盛謹書

 大正八年九月十三日 幌別村長ヨリ表彰ヲ受ク

   表 彰 狀
        故男爵  片倉景光
 明治二年本村ニ移住シ拓殖ニ盡瘁セラレ本村開拓ノ租トナル其ノ 功績偉大ナリトス依テ別紙目録ヲ贈呈シ之ヲ表彰ス
 大正八年九月十三日
     幌別村長  佐藤 隆 印



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   素 行 調
    膽振國幌別郡幌別村百二番地
    士族 戸主  片倉 景光
    安政六年五月十三日生
 其人ト爲リ温順勤●(「来」と右が「攵」)ニシテ事ヲ處スル及ハサルカ 如シト𧈧モ能ク艱難辛苦ニ堪ヘ 維新北海開拓創業ノ時ニ当リ幼齢租父邦憲ニ遀ヒ率先シテ曠漠無人ノ境ニ移リ 躬親ラ朱●(「来」に右が「𠂤」)ヲ把リ以櫛風沐雨旧臣開拓ノ業ヲ督シ戊辰 戦后家産蕩尽ノ餘ヲ受ケ拓殖ノ資猶且之シ况ンヤ一家ノ経済ニ至リテハ用度毎 ニ給セス僅ニ膝ヲ容ルゝノ草蘆ニ起臥シテ從容困苦ノ色ヲ見ヌ衣食ヲ檢節シ 切ニ浪費ヲ誡メ然レトモ拓殖ノ爲ニハ家什ヲ賣却シ挙テ其費途ニ供シテ顧ミス 一意租父ノ遺志ト父ノ訓誨トヲ固守シ事業ノ成功ヲ以国恩萬一ニ報シ併セテ 戊辰ノ藩辱ヲ雪カン事ヲ己レノ任トナス又菓木ヲ栽培シ材木ヲ移植シ農家副産物 ノ興スヘキヲ説キ且飲酒ノ殖民地ニ害アルヲ悟リ生来嗜ム處ノ酒類ヲ嚴廃シ皆身ヲ 以先辛後人ニ諭ス上来記述スル處ノ如キ身朱門ニ長スルモノ多ク爲シ難シトスル 處而シテ景光能ク之ヲ爲ス明治十年西南ノ役及廿七八年征清ノ役起ルヤ皆旧臣ノ 丁壯ヲ結束シ自費従軍センコトヲ出願セシモ遂ニ許可ヲ得ルニ至ラスト𧈧モ 軍国ニ尽ス處アラント軍用金品ヲ献納シ又ハ日本赤十字社終身社員トナリ或ハ征清 軍人家族保護會ニ入リ或ハ北海道尚武会ニ入テ其衷情ヲ表ス平素人ニ交ハルニ極メテ 謙遜ナリ只文事ニ於て少敷深カラスト𧈧モ以上精神ノ実行ハ以テ能ク幌別室蘭両郡 租父邦憲ノ支配地及札幌郡白石上白石上手稲三村拓殖経營ニ助ケ施シ其功多ナル所以ナリ

    膽振國幌別郡幌別村百三番地
    士族  片倉 景光
 明治廿七年六・七月ノ交清国ハ本邦ニ向テ數不穏ノ挙動アリ国民爲メニ激昂奮慨シ 殊ニ豫備後備ノ軍籍ニアルモノゝ如キハ大ニ法スル處アリト然ルニ北海道ハ猶未タ徴兵 令施行以前ニアルヲ以道民ノ壯丁空シク軍役ニ服ハス景光慨然ト茲ニ見ル處アリ仮令 本道ニ徴兵令ヲ布カレサルモ国家多事ノ時ニ当リ国民タルモノ豈座視シテ止ムヘケン ヤ一朝緩急アラハ国ニ殉スル所アラント幌別札幌両郡ノ間ヲ奔走シ移住旧臣ノ壯丁ニ 謀リシニ皆靡然トシテ其議ヲ翼賛シ一挙貳百貳拾名奮ヒ起チ若シ出師ノ事アラハ片倉氏 指揮ノ下ニ從軍セン事ヲ熟請ス之ヲ結束シテ北海義勇隊ト称しシ嚴ニ隊規ヲ設ケ堅ク 軽挙ヲ戒メ各自心ニ準備スル處アラシム而シテ人ヲ東京ニ遣リ緩急事ヲ報セシム七月 廿五日豊島沖ニ於テ清艦本邦ノ軍艦ニ無礼ヲ加ヘ遂ニ本邦艦隊ノ撃破スル處トナル其 急報一度景光ノ許ニ達スルヤ戰機ノ巳ニ逼迫●(判読不明)ルヲ知リ則隊員各居村ニアリテ 兵式繰練ノ事ハ一層勉励シテ之ヲ修メシム八月ニ日宣戦ノ詔勅公布セラルゝヤ景光踊躍馳セ 札幌ニ至リ義勇隊ヲ率ヒ自費ヲ以テ從軍セン事ヲ臨時㐧七師団司令部ニ請願シ且永山師団長 ニ謁シ從軍御許可アラン事ヲ切ニ上陳シ隊員名簿及ビ隊規ヲ呈ス然ルニ八月七日義勇団ニ関する 詔勅ノ降ルニ及テ遂ニ御許可ヲ得ルニ至ラス不得己從軍ノ義ハ遺憾 ヲ呑テ一時御趣意ヲ遵奉スト𧈧モ事態益急ナルヲ見テ早晩尽ス所アラント其侭結束シ置キ 隊員ノ戒心益怠ラス景光即徴衷ヲ表センカ爲メ更ニ軍資金品ヲ獻納 シ地方ヲ旧臣其他有志者ニ誦慫シ軍資金ノ獻納ヲ爲スモノ貳百余名ニ至レリ 又赤十字社ハ軍国必須ノ機関ナルヲ悟リ特ニ終身社員トナリ屯田兵出軍 アルヤ北海道軍人家族保護会ニ出金シ或ハ有志者ト謀リ屡戦捷祝賀会ヲ 開テ地方人民ニ忠君愛国ノ気㮣ヲ作興ナサシメ軍事公債ノ募集アルヤ率先 之ニ応シ人民ヲ誘導セリ盖シ是等数項ハ景光カ軍国ニ尽ス處ノ精神ナリトス 廿八年四月十五日平和條約ノ全ク調フニ及ヒ茲ニ始テ北海義勇隊ヲ解散セリ



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 開拓記念碑々文(写) 在幌別村
 表面碑文    開拓記念碑 (横書ニ題字)
 明治貳年九月元奥州白石城主片倉小十郎邦憲請官而爲膽振國幌別郡 支配翌参年其舊臣壹百五拾餘名移住於此地而從事闢墾是爲本村開基矣 當時幌別之地壤上草昧巨樹欝怫熊羆跋扈焉●(むじなへんに「寸」) 狼跳哮焉開拓之事豈容易乎同拾年邦憲之嫡孫景光任開拓之事景光天資剛毅 才秀而識卓其所規●(「畫」の異体字?)咸中機宜而邑人亦同心協力以所悪木 焚茅茷通道路闢疇圃数年而業蹟甚擧而不啻建闢墾之功又能致力於繁●(判読不能) 今也人家以千数美疇良圃相●(「尿」の下に「蜀」の一字)誠可謂盛然 而邑人之所以皷腹而樂太平者蓋前人之餘澤也今茲丙寅舊家臣胥謀欲建石表之來請 予文序既偉前人之功又冀郷人之永有所務式也故不辭而據狀敍之
     北海道帝國大學総長
     正三位勲厂等農學博士 佐藤 昌介
     題字 正五位男爵 片倉 健吉書

 仝裏面碑文
    御沙汰書
         片倉小十郎
 北海道開拓之義ハ方今之急務ニ付追々御處分茂有之候得共重大之事一時ニ 御手ヲ可被爲着目的モ難相立折柄其方義不憚艱難自ラ彼地ヲ跋渉シ開拓致度 志願之趣神妙之至被思召北海道開拓御用被仰付候條家来其他有志之徒相募自費 ヲ以漸次移住屹度實効相立候様 御沙汰之事
  明治二年九月十三日  太 政 官

   御 辭 令
         片倉小十郎
 膽振國ノ内幌別郡
 右一軍其方支配被 仰付候事
  明治二年九月十三日  太 政 官

 右ノ御沙汰書ニ依リ明治三年七月片倉小十郎以下五十戸移住開拓ニ從
  大正十五年六月二十日爲記念建立

 移住者氏名  紺野 久治  高橋 留吉
 片倉小十郎  鈴木 司郎  大野 勇治
 本澤 直養  遠藤震三郎  明珍 傓介
 齋藤 良知  遠藤 多膳  大槻 淺吉
 日野 愛憙  須田平左衛門 伊澤 林治
 佐野 源蔵  小平 朋喜  鈴木 助治
 黒澤源一郎  杉山興一郎  細田 省三
 佐藤  誠  桐  軍次  二瓶八太郎
 高橋 啓庵  河田新太郎  泉 源之進
 西東 勇吾  熱海  勝  佐藤 熊治
 北原 三郎  杉山  節  遠藤隆左ヱ門
 遠藤源七郎  草刈三左ヱ門 橋本 久八
 大谷市太郎  小室運五郎

 建設者氏名
 男爵   榛澤留三郎
 片倉 健吉  杉山 亀治  日野 久橘
 斉藤 良三  鈴木 健治  杉山  保
 紺野 久治  鈴木 健藏  高橋 貞安
 黒澤精之進  西東  進  伊藤  幹
 佐野 徳治  佐藤 清三  阿部 富藏
 須田  琢  河田 トク  日野  昇
 鈴木 勝治  桐 宇太郎  日野 中興
 高橋 雅量  遠藤新一郎  泉 源之進
 齋藤  基  遠藤 和一  齋藤 周治



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 片倉景光旧臣
  開墾地反別調
   明治廿六年一月二九日
       日野久橘
 片倉景光旧主従北海道開墾地反別調
  幌別郡鷲別村
 一畑百六拾三町九畝貳歩
  内百拾三町壱反六畝歩 旧臣開墾ノ分
   四拾九町九反三畝貳歩、他移住者開墾分
 一郡村宅地壱町五畝貳拾四歩
  内八反六畝四歩 旧臣開墾ノ分
   壱反九畝貳拾歩 他移住者開墾分
 一海岸干場貳町壱反三畝貳拾貳歩
   右不残旧臣開墾ノ分
   外ニ学校敷地学田社地墓地共有地ハ村民共同開墾ニ シテ貸下地開墾ノ区分ハ目下調査未済ナリ

  同郡幌別村
 一畑三百四拾九町三反壱畝九歩
  内貳百七拾九町四反五畝拾九歩 旧臣開墾ノ分
   六拾九町八反五畝貳拾歩、他移住者開墾分
 一郡村宅地三町八反三畝拾六歩
  内三町七畝貳拾三歩 旧臣開墾ノ分
   七反五畝貳拾三歩 他移住者開墾分
 一海岸干場壱町九反七畝拾貳歩
  内壱町七反七畝貳拾五歩、旧臣開墾ノ分
   壱反九畝拾七歩  他移住者開墾分
  外地目開墾ノ分ハ前村ニ同シ
  同郡幌別村
 一畑貳百壱町五反七畝拾歩
  内百貳拾町九反五畝拾歩 旧臣開墾ノ分
   八拾町六反貳畝歩  他移住者開墾分
 一郡村宅地壱町六反四畝三歩
  内六反七畝拾歩 旧臣開墾ノ分
   九反六畝貳拾三歩  他移住者開墾分
 一海岸干場八反貳拾貳歩
  内六反五畝貳拾九歩 旧臣開墾ノ分
   壱反四畝貳拾三歩  他移住者開墾分
 一牧場百九町四反七畝六歩
   右不残旧臣開墾ノ分
   外地目開墾ノ分ハ前村ニ同シ


  札幌郡白石村
 一田四百三拾町四反三畝歩
  内八拾六町八畝五歩 旧臣開墾ノ分
   三百四拾四町三反四畝貳拾五歩  他移住者開墾分
 一畑千三百九拾三町七畝拾貳拾歩
  内五百七拾三町六反五畝四歩 旧臣開墾ノ分
   八百拾九町四反貳畝拾六歩  他移住者開墾分
 一郡村宅地壱町九畝貳拾六歩
  内八反七畝貳拾九歩 旧臣開墾ノ分
   貳反壱畝拾七歩  他移住者開墾分
   外地目開墾ノ分ハ前村ニ同ジ

      同郡上白石村
 一田四拾五町六反五畝歩
  内貳拾壱町九反八畝歩 旧臣開墾ノ分
   貳拾三町六反七畝歩 他移住者開墾分
 一畑百五拾壱町七反五畝歩
  内百拾四町八反九畝拾貳歩、旧臣開墾ノ分
   三拾六町八反五畝拾八歩、他移住者開墾分
     一郡村宅地八反貳畝貳拾四歩
  内六反五畝貳拾八歩 旧臣開墾ノ分
   壱反六畝貳拾六歩  他移住者開墾分
   外地目開墾ノ分ハ前村ニ同ジ

  同郡上手稲村
 一田三拾五町壱反歩
  内八町貳反三畝歩 旧臣開墾ノ分
   貳拾六町八反七畝歩 他移住者開墾分

 一畑四百六拾六町九反七畝歩
  内百八拾九町七反六畝貳拾八歩、旧臣開墾ノ分
   貳百七拾七町貳反貳歩、他移住者開墾分
     一桑園四拾五町六反歩
  内三拾壱町九反貳畝歩、旧臣開墾ノ分
   拾三町六反八畝歩、他移住者開墾分
 一菓木園五拾六町八反歩
  内三拾九町八畝歩、旧臣開墾ノ分
   拾七町七反貳畝歩、他移住者開墾分
   外地目開墾ノ分ハ前村ニ同ジ

 備考
 片倉景光開墾地ノ分ハ別冊財産調ニ記載スル反別 高ニシテ幌別郡各村旧臣開墾地ノ内ニ合算ス



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     片倉家財産調
 幌別郡幌別村字小平河原
 一畑拾町歩  一ケ年小作料七拾円
   見積価格金千貳百円
  同郡同村字タンネビヨウカ
 一畑九町四反五畝十七歩 山林トシテ
   見積価格金四百七拾円
  同郡同村字ライバ
 一畑壱町三反貳畝八歩
   見積価格金七拾円
  同郡同村字ヲカシベツ
 一畑拾八町九反歩 荒蕪地
   見積価格金五百六拾円
  但以前買入地ニ付反別ニ少敷異動ヲ生ジタリ尚確定反別ハ役場ニ就キ 追テ可申
  同郡鷲別村字イタンキ
 一鰊鱒鮭漁場壱ケ所 一ケ年貸料金七十円 
   見積価格金千五百円
 ●(「む」の変体かな)●(不明)●(「擠」の右が「斉」)札幌通十三番地
 一宅地百五十六坪  一ケ年貸料金六十円
   見積価格金千五百円
  同 五十三番地
 一宅地八千坪  一ケ年貸料金貳拾四円
   見積価格金八百円
  幌別村字来馬
 一畑三町七反九畝六歩 荒蕪
   見積価格金百貳拾円

  計金六千貳百貳拾円
 右ノ通此外建物等アリト雖モ御承知ノ通リニ付省キ申候
  明治卅六年一月廿九日
       日野 久橘
  本澤 大節様
 
 

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十四代   片倉 健吉(たけよし)

 明治三年九月二十四日愛媛縣北宇和郡吉田町館に於て生れる
 父 宇和島伊達支藩吉田藩主  伊達 宗孝
 母(養母)島津忠寛姉(生母)大畑氏茂
 宇和島藩主伊達宗紀公より「健吉(たけよし)」と命名される。
 明治五年(三才)東京に出て、京橋区木挽町伊達家で成育、学習院 初等科、中等科、高等科卒業、水産講習所入学、同所卒業
 明治二十九年十二月、一年志願兵として近衛歩兵第三聯隊第五中隊に入営、終末 試験に及第
 〃三十年十二月一日一等軍曹に任ぜられる
 明治三十一年二月二十三日任陸軍歩兵少尉
 〃     四月十六日正八位
 〃九月より三ケ月間召集
 明治三十五年五月七日北海道庁事業手となる
 〃     十一月十四日仝庁技手七級俸
 明治三十六年一月十三日片倉景光長女コウと結婚片倉家聟養子となる
 明治三十六年四月三十日従五位
 〃     十二月十八日六級俸
 明治三十七年二月戦事召集により近衛後備歩兵第三聯隊入隊
 〃     十二月三十日任陸軍歩兵中尉
 明治三十九年二月二十三日 日露戦役従軍々功により勲六等に叙せられ 旭日單光章を授けされる。公債證書二百五十円下賜
 〃     十月十日五級俸
 明治四十年九月十八日北海道庁技師、この間北海道庁水産試験場に勤務、 小樽高島分場、千歳孵化場其他にあり
 〃     九月二十五日、日本赤十字社社員となる。
 明治四十一年十二月十二日四級俸
 〃     九月北海道水産共進会より感謝状を受領する。
 明治四十ニ年七月十四日願により本官を免ぜられる
 〃    仝月千歳孵化場を出発宮城縣白石町へ全家転住、景光家族 と共に生活
 明治四十三年八月三日養父景光隠居、健吉襲爵を仰付けられる。
 明治四十四年二月十一日在郷軍人会白石分会長に就任
 大正三年十二月一日在郷軍人会刈田郡聯合分会長就任
 大正六年五月二日 日本赤十字社特別社員に列する
 大正八年十二月二十七日従四位
 大正十年四月青葉神社(祭神伊達政宗公武振彦命)社司に補せられる。年俸 三百円
 大正十二年刈田郡聯合分会長を願により免ぜられる
 昭和十二年二月一日従三位
 昭和十四年一月十六日七十才に高齢につき、恩賜天盃拝受。この間 地方各種団体会長顧問其他に活躍
 昭和十六年十月二十一日薨去 満七十一才
   白石傑山寺片倉家墓地に葬る
   法名 大徳院慈嚴明光大居士
 
 

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