「ゆっくりと・・・」
緑陽中学校
2年 田中 晴菜
私の弟は知的障害児です。見た目は不通の男の子です。あいさつもちゃんとできるし、お母さんのお手伝いもします。しかし、突然わけのわからない言葉を口走ったり、いきなり話の内容を変えたりします。しょっちゅう落ち着きを無くすので、なかなか目を離せません。一言で言い表すのはとても難しいですが、弟のこの一連の行動の原因が、「知的障害」なのです。
私が小学校四年生のとき、弟が小学校に入学して来ました。小学校に弟を受け入れてくれる学級があり、遠くの学校に通わなくても済みました。入学式の前日、私は弟のことで頭が一杯でした。
「もしも弟の事を聞かれたら、なんて答えればいいんだろう…。もしも弟がいじめられたら…もしも周りの人達が弟のことを受け入れてくれなかったら…、もしも…もしも!」
私の心の中で大きくふくらんでいく不安。その横では、ピカピカのランドセルを見てにこにこと笑う弟がいました。無邪気に笑う弟を見ていると、不思議と心が落ち着いてきました。自分の中で少しずつ不安が消えていくのがわかりました。不安がすべて消えたわけではないけれど、姉として、これから入学してくる弟のことをみんなに受け入れてもらうために、今何をしなければいけないのか…それが、わかった気がしたのです。
緊張と不安の中で行われた入学式は、何事もなく終わることができました。その後私は勇気をふりしぼり、クラスのみんなに入学した弟の現状を打ち明けました。もともと弟のことを知っている子もそうでない子も、私の話を真剣に聞いてくれました。みんな「障害」という意味を理解してくれ、ホッとしました。しかし、次の日の朝、一年生が私の所にかけよってきてきょとんとした顔で、「あの子、お姉ちゃんの弟だよね?なんでぼく達と違うクラスなの?病気?」
と、聞いてきたのです。入学してきたばかりの一年生に、「障害」の意味が理解できるはずがありません。私は、何と説明すれば良いのかわからず、そのまま黙りこんでしまいました。自分では「障害」の意味がわかっているのに、それを人に上手く説明することのできないもどかしさを感じました。
私のそばには、いつも弟がいました。両親が共働きということもあり、私が友達と遊びたいと思っても、家にいる弟を一人にすることもできず、常に弟の面倒を見なければいけないので、思うように遊ぶことができませんでした。弟が普通の子だったら、カギをあずけて自分の好きなように遊べるのに…弟と関わらなければ、周りから白い目で見られることもないんだ…
時が経つにつれて、私の心はだんだん黒く染まっていきました。…気がついた時、私はことあるごとに弟にやつあたりをし、きつい言葉でしかり、周りの人達の前では弟をさけていました。ですが、街や学校で仲の良い兄弟や姉妹を見かけた時、うらやましいと思うようになり、「私の方から、弟にもっと接してみよう、手を差しのべてみよう…」と、少しずつ考えるようになりました。しかし、今まで怒りをぶつけられ、怒鳴り散らされ、さけられ続けてきた弟が、そう簡単に私に心を開いてくれるわけがありません。だから私も心を開き、本当の意味で弟を受け入れよう…!そう思ったとき、初めて弟のことを愛おしく感じました。
私が弟を受け入れるまで、そして弟が私を受け入れてくれるまで、三年程かかりました。それが「長い年月」か「短い年月」かどうかは、私にはわかりません。ただ一つ言えることは、弟のように障害がある人達を同じ目線で受け入れてくれる人がとても少ないということです。それは子供にも大人にも、全ての人に言えることです。決して難しいことではないはずです。
私は、「障害」は一種の「個性」だと思っています。スポーツが得意な子、絵がとても上手な子、本が好きな子…たくさんいますが、それは皆「個性」です。「障害」としてではなく、「個性」として見つめ直してみて下さい。私が三年間の中で感じ、学んだことは、ただそれだけです。ほんの少しの思いやりの気持ちが、心の扉を開く鍵になるのです。
弟は、私達よりもずっと遅いスピードで成長しています。ですが一歩ずつ、確実に前へ進んでいます。私達は、焦る必要も急ぐ必要もありません。彼らが一歩ずつ一所懸命に歩いていくのをあたたかく見守っていけばいいんです。彼らと同じ目線で接すればいいんです。それが、私達にとっての一歩なのです。
私達が一歩踏み出せば、それが未来への第一歩となるのです。
進みましょう、確実に…ゆっくりと…。