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「北海道幌別漁村生活誌」

第一章 村の概觀

一 村名の起源

 幌別驛に下車して、直ぐ正面の國道を西に折れゝば、行くこと二町餘 にして、村の西郊に達する。そこには可成大きな川が、碧潭(へきたん)を湛えて、 悠々と流れてゐる。幌別の原名ポロペッ(Poro pet)は、「大川」の義であって、本来は この川に冠せられた名稱であった。
 幌別川は今でも界隈では「大川」の一つであるが、往古上流に原始林が鬱蒼として晝猶暗き を呈してゐた頃には、今よりは一層「大川」であったことが察せられる。併し乍ら、幌別なる 名稱は必ずしも川の大きさを絶對的に言ひ表したものではなく、居常水を汲み食器を洗ふ背戸 の流れに「小川」を意識しつゝ、それに對して村の西郊を流れる川を「大川」と呼び馴れた ものと思はれる。
 幌別なる名稱の起源に關しては、次の如き地名傳説も傳へられてゐる。
 昔、或男がこの川の淺瀬を撰んで向岸へ渡らうとした。然るに、川の中央へ進むに從って、 水は次第に深さを增し、遂に男の貴重なる一物までも濡らすに至った。玆に於て件の男は感嘆の 聲を發して、嗚呼大川なる哉、と叫んだ。斯くて、それまではカニサシペッと稱せられてゐた川が、 その時からポロペッ即ち「大川」と改稱せられるに至つたのであるといふ。
 尚、幌別の舊名カニサシペッ(Kani sash pet)のカニは「黄金」、サシは「鏘然の音」、ペッ は「川」であつて、「黄金の音鏘然として美しく響く川」の義である。この川の上流に、曾ては 金鑛があつたことを憶ひ合はせれば、洵に興味油然たるものを覺える。



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二 地勢・沿革・氣候

 地勢・沿革・氣候に就いて、「昭和十一年度幌別村勢一覽」は次の如く記載して ゐる。
 1 地 勢
 東南ハ大平洋ニ面シ東ハ白老郡西北ハ幌別岳登別岳ヲ隔テゝ有珠郡ニ界シ西南ハ 有珠郡及室蘭市ニ接ス東西四里十四町南北五里二十八町沿海線四里ニシテ面積十三 方里八五四(二一三・六七七方粁)ナリ

 2 沿 革
 本村幌別(現在本町)及鷲別(現在鷲別町)ハ往時ヨリ舊土人ノ多數住セシ所ナリシモ 今ヲ去ル百九十五年前ノ寛保元年七月大海嘨アリ人家ハ悉ク波ニ引キ浚ハレテ全滅一時 人跡絶エタルモ其後明和五年日高國ヨリ舊土人數戶幌別(現在本町)ニ移住アリ
 文政五年幌別(現在本町)ニ會所ヲ置カルゝヤ同年五月始メテ函館ヨリ山田治兵衛 外數名ノ來住アリ又登別村(現在登別町)ニハ安政五年八月武州産瀧本金藏、上鷲別 ニハ明治二年四月南部産鎌谷岩吉ノ移住ヲ見タリ
 現在ノ登別温泉町ハ本村中最古ノ歴史ヲ有スル所ニシテ今ヨリ六百二年前ノ建武元年 十二月八日ニ入寂セシ日蓮総本山久遠寺ノ第三世タリシ日進上人ガ六百三十六年前ノ 正安元年六月靈現地トシテ踏査セラレシ所ナリ
 明治二年九月本村一圓ガ仙臺藩ノ一門白石ノ城主片倉小十郎邦憲ノ支配地トナルヤ 翌三年七月ヨリ翌四年ニ亙リ百五十餘人ヲ移シ開墾ニ従事セシヲ以テ開拓ノ創始トス 爾来年歳移住者ヲ增シ殊ニ明治十四年ヨリ二十五年ノ間ニ香川縣人三十餘戸淡路國人 約六十戸阿波國人七十餘戸ノ團體移住ニ伴ヒ長足ノ進展ヲ來シタリ
 明治五年三月始メテ開拓使幌別出張所ヲ設ケ七年十二月十五日之ヲ廢シ室蘭出張所 ノ所轄トナル十三年郡區町村ノ編成ナルニ當リ幌別村ニ戸長役場ヲ置キ郡内各村ヲ管轄ス 二十三年ニ至リ之ヲ鷲別村ニ移シ室蘭郡ノ一部ト幌別村一圓ヲ管轄セシモ三十一年再ビ 幌別村ニ復シ幌別、登別、鷲別三村ヲ管轄ス
 大正八年四月以上三村ヲ合シ幌別村ト稱シ二級町村制ヲ施行セラレ以テ今日ニ及ベリ
 昭和九年四月更ニ大字幌別村、大字登別村、大字鷲別村ノ大字制ヲ廢シ十五ノ小字ヲ設定 シ即チ字地番ヲ改正シタリ

 3 氣 候
 本村ハ北海道南海岸ニ面シ海霧ノ襲來アルモ常ニ潮流ノ中和ヲ得テ爲ニ盛夏厳冬ノ候ト 雖モ寒暑ニ苦シムコトナク氣候温和ナリ、風位ハ夏季ハ南風多ク冬期ハ西風多シ、降霜ハ十月 中旬ヲ初期トシ四月ヲ終期トセリ積雪量平均七、八寸雨量平均一・三〇〇粍ヲ示セリ



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三 戸 口

 1 現住戸口(△ハ舊土人)

     昭和6年  昭和7年  昭和8年  昭和9年  昭和10年
 戸数   1,330   1,240    1,235    1,248    1,338
      △83    △91    △87    △79     △76
人口 男  3,644   3,277    3,265    3,284    3,340
      △203   △208   △210    △199    △204
人口 女  3,312   3,171    3,364    3,254    3,461
      △200   △196   △196    △188    △186
  計   6,956   6,448    6,629    6,538    6,801
      △403   △404   △406    △387    △390
一戸當平均  5.20    5.20    5.35     5.24     5.08
一方里當平均 566    496    509     501     491

 2 部落別戸口(昭和十年十月一日國勢調査ニ依ル)
   部  落  名   戸  数   人  口
  本   町    170    794
  來馬東來馬奥    33    158
  來 馬 中     12     68
  來 馬 西     25    146
  川 上 北     14     89
  川 上 南     18     96
  鑛   山    100    540
  千   歳     23    117
  札   内     13     82
  カルゝス      20    124
  登別温泉町    279   1528
  中登別北      27    137
  中登別南      13     62
  登 別 町    231   1064
  富   浦    132    621
  富   岸     35    202
  鷲 別 町    171    873
  上 鷲 別     22    100
  合   計   1338   6801

 3 現在人口動態(△ハ舊土人)
     昭和6年  昭和7年  昭和8年  昭和9年  昭和10年
 婚姻    78    80    73    68     72
       △2    △6    △3    △6     △2
 離婚    12     4     6     7     13
       △1                △2     △1

 出生男  115   145   147   163    172
       △4    △4    △3    △2     △4
 出生女  156   133   160   167    138
       △6    △6    △2    △3     △3
 出生計  271   278   307   330    310
      △10   △10    △5    △5     △7

 死亡男   78    82    79    86     75
       △4    △3    △3    △2     △3
 死亡女   73    80    94    88     64
       △1    △5    △2    △4     △4
 死亡計  151   162   173   174    139
       △5    △8    △5    △6     △7

 死産男    2     2     2     0      3
 死産女    4     3     2     0      2
 死産計    6     5     4     0      5

 千人ニ付
 出産 41・25 42・65 43・18 42・77 45・59
 死亡 23・80 26・20 26・09 28・13 20・44


 4 職業別戸口
     農 業  漁 業  商 業  工 業  林 業  牧畜業  其 他   計
 戸数  306   255  210   32    4    18  513  1,338
 人口  1,776  1,327 1,045  162    23   117  2,351 6,801



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四 産業

 1 各種生産額
     昭和6年  昭和7年  昭和8年  昭和9年  昭和10年
農 産   36,235   37,125   78,037   84,003   87,306
畜 産   18,289   22,124   18,586   24,237   23,722
水 産   53,305   82,287   73,905  186,919   107,768
工 産     820    860    1,270   70,650   57,120
林 産   55,800   64,550   62,760   13,500   21,414
鑛 産    ー     ー     ー     ー   304,258
 計   164,449  206,946   234,558  379,309  601,588
一戸當  123・64  172・45   189・92  303・77  449・63
一人當   23・49   34・49   35・38   50・02    88・46
備考 昭和十年度ノ生産額多キハ今年度ヨリ鑛産額計上シタルニ依ル

 2 水産業
  イ 主要漁獲物

  種類        数 量(貫)    價 格(円)
  鰊        16,920     1,692
  鰮       275,050    27,504
  鯳        37,040     3,402
  カレイ       8,850     1,770
 (ヒラメヲ含ム)
  サケ        1,200     1,308
  鱒         1,550     1,085
  ホツキガヒ    76,500    11,475
  鮹         3,600     1,620
  昆布        7,800       796
  鯉            35       315
  其他                 6,958
  計                 57,925

  ロ 水産製造物

  種類          数 量     價 格(円)
  素乾タラ       5,200    2,340
  素乾昆布       2,652     796
  ニシン粕       5,640    1,974
  イワシ粕      94,160   28,248
  アラ 粕      10,728    3,218
  雑  粕         720      216
  䀋乾タラ         800      480
  イワシ油      22,716   10,222
  ニシン油       4,725    2,126
  其ノ他                  223
   計                 49,843

  ハ 免許漁業

   種 別   鮭   鰊   鰮
   定 置   6  10   7
   特 別   1   7   5

  ニ 業者・その他

 水産業者
      
  漁 主/ 漁撈175人 製造13人 養殖5人
  被用者/ 漁撈108人 製造10人 養殖8人

 漁夫入出稼
   入 稼  140人
   出 稼   55人

 漁船数
  新造 3
  現在 71(内發動機10)

 漁業戸数  255戸
  1戸當  422・62圓
 人 口   1,327人
  1人當   81・21圓



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第二章 濱の狀景

 東北へ一里餘、西南へ二里、約三里の間は岩一つない砂濱である。
 東北の冨浦、西南の鷲別は、共に小さな岬があって、天然の港が出來てゐて、舟 の出入りも樂であり、海も遠浅なので夏の泳ぎにも適し、尙磯からは昆布や海苔 などが澤山とれる。
 幌別の海はこれらとは全く反對である。海は岸からすぐ靑々深く、浪の大きい事 は恐らく日本一だと、私は小さい時からさう思っている。だから同じナミといふ字を 書く時でも、室蘭や鷲別などの場合は「波」といふ字を用ゐ、幌別の海だけは、特に「浪」 といふ字ばかり用ゐていた。何だかこの「浪」といふ字は、「波」にくらべて、意地悪な 様な、そして荒い様な氣がするからである。
 この大浪のために一年のうち二度や三度は、必ず濱の人達が迷惑する。ミナミが雨を つけて吹いて吹いてから翌日それがアイにかはせたりすると、みる々浪が大きくなって、 しまひには小山より大きな様なのが、次から次と押寄せてくる。それが岸近くなるとます々 大きくなつて、被さる様にどーん! と凄い音をたてながら小砂利を噛碎いて、どーつ! と 陸へのし上つてくる。この時の地響は百間位をかの家まで響く、こんな時には舟はマキド の上迄あげて、アンカをさしてともづなをとつて置くのである。浪はこの舟を越えて、七 八十間位陸(おか)の家に衝き當つて、ガラス戸などを打破る。
 こんな恐しい海ではあるけれども、又他にはみられない良いところもある。それは眞黒な キラ々と輝く砂の上に寝そべる事であり、様々な色と模様のついた碁石の様な小石を拾ふ事 である。子供達は天気のよい西風の日など、この砂の上に寝轉んで歌ったり、坐つて小さな磁石 で砂鐵を集めてホツキの貝殻に溜めたり、爐の中へ敷く綺麗な小石を拾つたりするのである。
 又この砂濱では、他の岩のある海では見られない引網がある。夏の月の夜など、あちらでも、 こちらでも、引網がかゝつて、
  ヤサエーイ
  ヤサエーイ
  ヤサノエーイ
  ヤサコーイ
 といふローカルカラーの溢れた網引のはやしがきこえる。この聲が聞えると、村の誰も彼もが ぢつとして居れず、手籠を持つて、手拭で一寸頬被りをして、出かけるのである。 濱では若い者(漁場では漁夫の事を若い者と呼ぶ)が、褌一つの眞裸で、首まで海の中へ這入つて、 網を腰にあてて兩手で吊つて引く。それを波ぎはから女や子供が腰引で引くのである。
 だんゝ網があがつて來ると、目はりが網一ぱいに掛つて、銀色にキラゝ輝く。
 そこで沖の舟からは、絶えず提灯の合圖がある。「オーイ」といふ聲と共に上(かみ) の灯があがると、引かたの負けてゐる上(かみ)の人々は、それに應じて「オーイ」と返へして、 いよゝかけ聲を大きくして引くのである。袋がだんだんをかへ近くなると、はやしも早くなる。
  ドッコイショー
  アラドッコイショー
  ドッコイショー
  アラドッコイショー
 しまひにははやしの調子までが早くなって。兩方から網をよせて竝んで引く。もうこの時分から、 濱へは鰮が眞白にあがつて、バタゝ跳ねて居り、網の中は煮えたぎってゐる様に泡立って居り、 網の目が分からぬ程に目はりがぶら下つてゐる。
 もう舟もすぐ間近に見えて、艪からはひつきりなしに號令が聞える。「しめれーっ、しめれーっ」 といふ大きな聲と共に、提灯が二つ一しょに高くゝ振り上げられる。さうすると
  オーシオイサ
  オーシオイサ
  オーコイオイサ
  オーシオイサ
と全員が一丸となつて、有りつたけの聲と力を絞つて、引くのである。いよゝ袋が波打ぎはまで 來ると、若い者達は素晴らしい勢ひで
  ヤッセー
  ヤサコイ
  ヤッセー
  ヤサコイ

と掛聲をかけ乍ら、ロップで袋の口をしめて、同時にハカイチョー(袋と網を つないでゐる縄)を切つて、袋と網を離してしまふ。
 沖の舟では、この袋をはやしがけで引寄せてゐるが、一ぱいに詰まつた水の上へ一尺 位も盛り上つてゐる大袋は、ビクともしない。をかからは、四五人の若い者が、この應援 に、沖の舟を目がけて泳いでゆく。をかではまた、今まで手傳つていゐた人々も初めて氣が ついて、一生懸命籠へ魚を拾ひ集める。誰かが寄木やゴミなどを集めて火を焚く。赤々と 燃え上つた火の廻りに、裸の若い者達が、立つたまゝっ尻(けつ)をあぶつてゐる。
 頭のとれたのや、胴のちぎれた魚を殘して、めいゝ籠に一ぱい持つて、片手に下駄を下げて、 裸足で冷たい砂の上を歸る。家に着いて足を洗つて寝る頃には、汲舟が眠い様なはやしを夜風に 流し乍ら、枠舟へかいてゆくのが聞こえる。
 かうして夜のうちに四五杯揚げて置いて、十二時頃若い者達は寝るのである。釜焚はこの時分から、 夜通して魚のなくなるまで焚きつづける。



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 翌朝濱へ出て見ると、砂の上に長々と網が干してあり、鴉が澤山集まつて、砂だらけの魚を拾つて ゐる。沖には大漁旗をたてた枠舟が、大きな枠を兩腹に吊つて靜かに動いて居り、居眠りをしてゐる 様な枠番兵の頭が時々見える。その上をゴメの群がビーイ、ビーイと啼き乍ら飛び廻つては、近くの 水面に下りて休んでゐる。
 漁場の方を見ると、釜前(かままへ)に立つてゐる五本も六本もの煙突からは、黒煙がムクゝと立 昇つてゐて、白い風呂敷を被つた粕干し女達が忙しさうに筵を運んでゐる。
 またこれが冬になると、毎朝の様に蟹が這ひ上(あが)つてゐるので、朝早く鴉に負けない様に 起きて濱へ出る。稀には這ひ上つて休んでゐるアザラシなどが發見して驚く事もある。
 これが幌別の海っであり、砂濱である。
 この砂濱を少し上ると、ムリッチ原になる。
 ムリッチといふ草は、如何にも砂原に生えてゐさうな、何の風情もない、頑丈な草である。砂の 表面三四寸はきれいに乾燥してゐるので、ムリッチは五六寸底の濡れた砂の中を、どこ迄も根を張つて、 約一尺おき位に上へ葉が出てゐる。その若芽は、山嵐の背の針の様に鋭く、裸足で歩くと、 チクゝ足に刺さる。

 こんな嫌な草が、約十間程の幅で濱なりにつづいてゐる。しかしこの草にある處は、大抵ぼうふ (暴風)が生えてゐる。春の五月頃、ぶうふの芽がさつと砂の上に頭を出すと、村の娘達や子供等は、 籠と包丁を持つて、「ぼうふ取り」に出かける。去年の枯葉を見つけて、指先でその下の砂を寄せると、 淺黄色の芽が元気よく出てくる。その傍へ包丁を突立ててぐるつと廻すと、三四寸底の根が切れる。 芹や嫁菜では味はふ事の出來ないいゝ匂ひがすーつと鼻をかすめる。
 それから、このムリッチ原の處々には、濱豌豆の紫の花が澤山咲く。夏の暑い頃この豌豆の實が茶色に 熟す。少年の頃は、よく川遊びの行き歸りなど、この茶色に堅くなつた豆を懐に入れて、食い乍ら歩いた。 又歸りにはまだ靑いのを集めて來て、晩は豆御飯にして貰つたりした。
 ムリッチ原にすぐつづいて、ハマナシ原になる。この邊は波打ちぎはから五六十間位あるので、大分 いろゝな草が生えてゐる。ハマナシの低い木が、トゲだらけの枝を擴げて、這ふ様にして生えてゐる。 六月頃になると、椿に似た眞紅な花が澤山咲いて、とてもきれいである。
 この頃は鱒が澤山獲れるし、鰮もぼつゝみえる頃であるが、ガスがひどく、毎日眺めてゐる恵山 (エザン)や近くの鷲別の岬までが、すつかり包まれてしまふ事が多い。こんな時、地球岬の燈臺は、 一日中ボーを鳴らしてゐる。
  幌別の濱のはまなす咲き匂ひ   恵山の崎は遠くかすめり といふ違星北斗さんの歌も、この頃に詠んだのだらうと思ふ。
 バチェラー老師が裏の教會に住んでゐた時、やはりこの頃だつた。いつもの通り朝の散歩なのだらう。白 髯を麻風になびかせ乍らステツキをついて、家の前を通りかゝつた。そしていつもの通り
 「オハヨウゴザイマス」
と言つた。窓ガラスを拭いてゐた母が
 「お早うございます」
と丁寧にお辭儀をしたら、その邊に遊んでゐた妹達をみて
「タクサン。コドモサンヰマスネ」
と言つて、すぐ妹達の方をみて  「ヨイコドモサンデスネ」 と言つて、妹達があはててお辭儀をするのを笑つて見乍ら、細徑を通つて行つた。
 それからしばらくして歸つて來た時には、ハマナシの花を一つ持つてゐた。 そして歩き乍ら時々その花を高い鼻のところへ持つて行つて、匂ひをかいでゐた。
 その日初めて私はハマナシの花の甘い匂ひを知つた。
 その外、ハマナシ原にはすみれが咲く。すみれの咲く頃は、この邊に澤山ある雲雀の巢 に、小さい不格好な雛が孵へる。濱へ出る時や、歸る時など足下から急に雲雀が飛立つので、 驚いて見ると、ハマナシの根下に砂を圓く掘つて、苔や馬の尾などを敷いた巢があつて、その中 から、眼の見えない雛が四五羽、體の割に大きな口をパツクリ開いて、餌を求めてゐる。

 ハマナシの實は八月頃になると眞赤に熟す。
 丁度この頃はお盆なので、墓詣りにはこの實を絲で綴つて、首飾りの様に拵へて供へる。
 又八月頃には、處々にのこぎり草やひるがほや女郎花や月見草が、可憐な花をひらく。
 ハマナシ原から陸の方は大分黒土があるので、全部畠になつてゐる。
 畠で一番多く作られてゐるものは、何といつても馬鈴薯である。七月頃この畠一ぱいに 馬鈴薯の白い花が咲いた時は、本當に言ひ表せない美しさである。そしてこゝで出来る 馬鈴薯は、恐らく北海道の何處に出来た薯よりも味がよいといふのが自慢である。それから 内地では一寸食べられない様な、カステラ、甘栗、ハーバアトなどといふ、名前からして立派な 南瓜が出來る。
 そのほか、此地帯では葱やデントコーンなども作られてゐる。このテンドコーンは、高さが 一丈位にもなるので、この中へ這入つたら一寸分らない、その爲かよく媾曳(ランデブー) の場所につかはれる。
 しかしこのあたりは潮風が強いので、木は殆んど育たない。梅や桃などを植ゑても、そのうち すつかり枯れてしまふ。この爲め少しの草花をつくるにも、萩や竹で四方を圍はなければならない。 それに乾燥地であるから、池をつくつて水連でも植ゑるなどといふ事は全く望めない。
 こゝから鐡道線路までは約六拾間位である。そしてそのやゝ中間に、國道が通つてゐる。
 國道はこゝの川の上流から採つた石を敷詰めてあるので、自動車でも、自轉車でも、都市に變 らない位樂に走れる。併しこの石を敷かれた當初は、實にひどかつた。自轉車は一日二度も三度も パンクをするし、夜は石ころにつまづいて下駄の緒を切るし、馬車馬は足を痛めて歩けないので、 村の人達も皆この道路工事の人を恨んだ。ニ三年經つうちに、さしもの悪路も見違へる程立派に なつて、雨あがりでも草履がけで歩ける様になつた。今では道路に文句をつける者は一人もなくなつた。 しかしこれに感謝してゐる人もない様である。
 この道路を東北に登別の方へ約十町程行くと、名物の鈴蘭の密生してゐる原が道の兩側に廣々 とつづいてゐる。五月の下旬から初夏にかけて、このあたりは全く鈴蘭の花で埋められる。鈴蘭が咲き 初めると、温泉や室蘭からは毎日の様に大勢の人達が押寄せる。ことに日曜などは、家族連の人々が、 汽車毎に長々と行列をつくつて來る。これが十日もつづくと、あの天國の様に清く美しかつた 原はあとかたもなく、花を取られた鈴蘭の葉と莖は踏みにじられて、到る處、新聞紙と折箱とビール やサイダーの空瓶とバナナの皮で、滅茶苦茶になつてしまふ。私達はよくこの跡に立つて
 「都會の人つて馬賊みたいだな!」
と話し合つたものである。



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第三章 幌別で獲れるもの

一 海で獲れる魚

 1 鰮類(小鰊・大ヒラゴ・中ヒラゴ・小ヒラゴ・バカ鰮・ウルメ鰮・マル鰮)
 四月頃からバカ鰮が獲れ初める。これは中ヒラゴと小ヒラゴの中間の大きさで、普通 漁で百五十石前後、多い時は四五百石位獲れる。油は少ない。
 六月頃になると小鰊が獲れ初める。中ヒラゴ位の大きさで、油の多い鰮である。普通漁で 四五百石、多い時は七八百石位の漁がある。
 小鰊が獲れて間もなく、大ヒラゴが獲れ初める。そして十日位で中ヒラゴが來て、すぐ 小ヒラゴが續いて來る。これ等は一番油のある鰮で、普通漁で六七百石、大漁で二千石位も獲れる。 これにマル鰮、ウルメ鰮などが少量混じてゐる。
 鰮類は大體この時季から十一月頃まで通して獲れる。
 鰮は食料及び釣餌に僅少の消費はあるが、全部と言つてよい 位魚肥に製造される。

 2 鰊
 鰊は日本海の様に多量には獲れない。四月頃二三十石の漁があるのみである。

 3 鱒類(櫻鱒・板鱒・靑鱒(五月鱒)・雨鱒・口黒鱒)
 一番早く獲れるのは四月頃の櫻鱒で、一日二三百本位が大漁である。それから 靑鱒や板鱒が、五月頃から六七月にかけて、一日千本づゝ獲れる。雨鱒(鯇)は年中 少しづゝ獲れる。
 口黒鱒は十一月頃少しづゝ獲れる。獲れ初めは全部生(なま)のまゝ市場で消費されるが、多く 獲れ出すと盬漬にする。

 4 大助(おおすけ)
 大助は五月鱒と同期に獲れる魚である。鱒の様な體形で鮭位の大きさの 魚である。漁獲數も同じ位で、一日千本位は珍しくない。鱒より味が落ちる。 鱒と同じに處理される。

 5 アキヤジ
 鮭(さけ)のことである。九月頃から獲れ初める。昔は澤山獲れたが近年少い。 一日百本位である。十二月末頃まで獲れる。多い日は四五百ほん位。
 (以上鰮・鰊・鱒・大助・アキヤジ等の漁獲數は凡べて建網を標準にしたもので ある。建網の外刺網・流網・釣り等あるが從業者、漁獲數等も少いので書かない)

 6 鱈(眞鱈と鯳とがある)
 當地では眞鱈は非常に數が少いが、鯳(すけそ)は澤山獲れる。
 鯳は十二月頃より三月頃までの冬期間に多く獲れるもので、主に刺網で獲る。 大漁の時は一パイの船で、一日五千本位獲る。鯳は陸より二三里位沖で獲れる。
 肝油を採つたり、味醂干・開鱈・粕漬・棒鱈など皆鯳で造る。

 7 鯖(ベロ鯖・小鯖・中鯖・大鯖)
 八月頃建網で鰮が盛んに獲れる時混つて獲れるもので、多い時は一日五石から十石位獲れる。
 ベロ鯖は鰮位の大きさなので粕になつてしまうが、小鯖・中鯖は撰り集めて 箱詰にして賣る。主として焼干にする。
 大鯖は數が少い。生で消費されたり、鰹節の代用にしたりする。

 8 蛸
 二月頃から五月頃へかけて最も多く獲れるが、その他の時期でも少し づゝは獲れる。雄を潮蛸(しおだこ)といひ雌を眞蛸(まだこ)といふ。味は 眞蛸の方が良い。
 テグリ・延縄・刺網などでも獲れるが、主として蛸箱で獲る。普通村内で消費 されるが、多く獲れると市場へ出す。

 9 河豚(豆河豚・眞河豚ーナメラ河豚・熊坂)
 六月頃から秋まで獲れる。數はあまり多くない。
 豆河豚はピンポンの球位から鶏卵大である。あまり小さいので食用にならない。
 眞河豚は一尺五六寸位から二尺位までで、皮がすべゝしてゐる。
 熊坂は二尺位から三尺位で一番大きい。腹と背にトゲがある。
 眞河豚と熊坂は漁夫達が皮をむいて、焼いたり煮たりして食ふ。皮は太鼓・ 提灯等の手工に使ふ。



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 鮪(小鮪ーゴンタ鮪・大鮪)
 七月頃から秋まで獲れる。
 小鮪は千本位、大鮪は二百本位、夏から秋までの間にこれだけ獲れるのである。 鮪の漁期は夏の暑い間だけである。全部都市の市場に出荷される。

 11 烏賊(豆烏賊・槍烏賊・眞烏賊)
 十年位前迄は、烏賊漁で生活してゐた程、多くの漁があつたが、機船トロールの爲 荒されて、現在では十一月頃建網で少し獲れるだけである。
 豆烏賊は全長一寸位、そのまゝ洗つて盬辛(しおから)などにして食ふ。澤山は獲れない。
 槍烏賊、極少量しか獲れない。
 眞烏賊、するめなどにする烏賊である。

 12 鰍(トウベツ・ナベコワシ・ギシカヂカ・ベロカヂカ・山ノ神)
 トウベツは秋十一月頃多く獲れる。
 皮はザラゝしてゐるので、食ふときは皮をむく。
 ナベコワシは年中少しづゝ獲れる。
 鰍のうちでは一番味が良く、皆が爭つて食ふので、鍋をこわすというところから、 此名がある。
 ギシカヂカは主に冬獲れる。黄色い小さな鰍である。味はよい。
 ベロ鰍は赤と黄の斑(まだら)の色をしてゐる。數は少く味もよくない。
 山の神、ベロ鰍に似た色で小さい。頭に二本の角(つの)を有している。角を 出してゐるから山の神(妻君)といふのである。不味。

 13 鮫(油鮫・鹿ノ子鮫・靑鮫・ウバ鮫・ツカ鮫・カド鮫・鶏鮫)
 油鮫、一尺五六寸から二尺位のが鰮に混つて獲れるが、數はあまり多くない。
 十一月頃になると少しの間、三四尺位大きいのが、多い日には一日 千本位獲れる。背に鋭い針を有してゐる。鮫のうちでは比較的味の良い方である。
 鮫類はあまり多く獲れないが、油鮫はそれ等のうちで一番多い。
 鹿ノ子鮫、大きさは二三尺位、油鮫の様な針はない。兩の脇腹に鹿ノ子の 様な絞り模様がsる。數は少い。味は普通。
 靑鮫、大きさは五六尺、油鮫を大きくしたような恰好、背も色が靑い。 一番獰猛な鮫で、人間などをも襲ふ。味は悪し。
 ウバ鮫は頭部が圓味を帯びた鮫で、一族切つての大兵肥満である。大きさは 七八間位、特に大きいのは十二三間もある。味悪し。
 ツカ鮫、皮が堅く體は六角になつてゐる。大きさは二三尺位、不味。
 カド鮫、大きさは五六尺位、體長の割に胴の太いのが特徴である。
 鶏鮫、體は六尺位であるが、尾ヒレの上端が斜上に八尺位延びて、宛も雄鶏の尾 の如くである。鮫の中で一番美味。

 14 鰈(石持・鷹ノ羽・黒頭・ミヅクサ・砂鰈・豚鰈・婆鰈・河鰈・眞鰈 宗八・鮫鰈・オヒョウ・山伏・油鰈・テツクイ)
 石持(別名石鰈)、一番多く獲れる鰈である。三四月から五月頃にかけて最も多い。
 背に普通石と稱する骨がついてゐる。多い時は一日に五六箱位獲れる。味は普通。  鷹ノ羽(髙鰈或はタンタカとも云ふ)、ヒレが黒い縞になつて鷹ノ羽に似てゐるので 此名がある。腹には大豆粒位の黒點が五ツ六ツある。多い時は五六箱位獲れるが、普通は 石持より少い。味は良い。
 黒頭、ヒレなどは前者にやゝ似てゐるが、體は太い。そして腹にも黒點がない。 石持などの二十分の一位しか獲れぬ。味は良い。
 ミヅクサ(赤鰈)、少ししか獲れない。體は小さく、腹部は薄紅く、味の良い鰈である。
 砂鰈、兩方のヒレが黄色い。肉の薄い鰈で、體も小さい。多く獲れない。味は良くない。
 河鰈(喧嘩鰈)、鷹ノ羽に似てヒレにも縞があるが、腹は眞白で、石持に似た小さな骨の様な  ものが澤山ある。此鰈は非常に美味で、食ふ時は皆で奪ひ合つて喧嘩するといふので、「喧嘩 鰈」の別名がある。年中獲れるが數は少い。
 婆鰈、姿が如何にも太つた婆さんを想像させるので此名がある。多く獲れない。味も餘りよくない。
 宗八、四五月頃多く獲れる。姿は綺麗でなく、平凡だが、味は頗るよい。多い時は三四箱位獲れる。
 眞鰈、尾の所が少し黄色く、上品な形をしてゐる。鰈の内で一番高價である。年中獲れるが數は少い。
 鮫鰈、背の皮が鮫の皮の様にザラゝしてゐるので斯く言ふ。食ふ時は此皮をむくのである。 二三里沖に多いので陸の近くでは餘り獲れない。味は良いが油が少し強過ぎる。
 オヒョウ、體の細い、姿のよい、一寸石持に似た鰈である。味も上等で、刺身鰈として珍重される。 年中獲れるが、數は少い。
 山伏、鷹ノ羽と同じ姿であるが、體は十倍位大きい。テックイと共に鰈の兩大關である。夏に多く 獲れるが、數は少い方である。味はあまりよくない。
 油鰈、名の示す如く全身油である。恐らく魚類中で一番油があるであろう。味はあまりよくない。主として 冬期間獲れる。
 テックイ、ヒラメのことである。
 大きいのは五尺から六尺位もある。近年は餘り獲れない。
 鰈は刺網・テグリ・延縄・建網などで獲る。多い時は都市の市場へ出荷されるが、 普通は村内で消費される。



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 15 ドンコ
 年中獲れるが數は極めて少い。軟骨魚で體は一尺位である。當地方では食べないで捨てる。
 16 ゴツコ
 一ニ月頃獲れる。ドンコによく似た軟骨魚である。腹に吸盤を有し、外敵に襲はれると、岩などに 吸着いて離れない。
 干して置いて食ふ。味はあまりよくない。岩石のある海に多い魚である。

 17 アブラコ
 年中獲れるが數は少い。
 ゴツコと同じく岩石のある海に多い。味は上等である。一尺内外のが多く、體は黄緑色である。
 
 18 ハグドク
 アブラコに似てゐるが、體は小さく四五寸のが多い。當地は岩石が少い爲數は少い。味はよい。

 19 ワラヂカ
 前三種と共に、室蘭地方に多い魚であるが、時折當地にも獲れる。
 大きさは五寸位、長さ二尺の細長い魚である。味はよい。四月頃獲れる。

 20 アナゴ
 五月頃少し獲れる。ワラヂカに似て小さい。味はあまりよくない。

 21 ハモ
 昔は澤山獲れたが、近年は少ししか獲れない。味は上等。

 22 キウリ
 五月頃から秋まで獲れる。
 胡瓜の様な臭ひがするので此名あり。六七寸位の大きさ。味よく、焼き干しにすると風味がある。

 23 チカ
 キウリに似てゐるが臭ひがない。體は小さく三四寸くらいである。味は上等である。

 24 ユグイ
 五月頃から獲れる。海にも河にもゐる魚で、五六寸から一尺位である。 六月頃河でゝも百や二百は釣れる。焼干に用ゐられる。

 25 サブロ
 夏の頃少し獲れる。一尺位で、八角になつて、堅い皮に包まれてゐる。食用にする程は獲れない。

 26 ゲンゲンボウ
 七月頃より秋まで獲れる。サブロに似て八角である。背と腹に飛魚の如き 翼を有する。味頗るよし。

 27 トビウオ
 稀に少し獲れる。

 28 ソイ
 九月頃少し獲れる。鯛の如き體なれど黒色で一尺位の大きさ。背ビレに數本の トゲがある。味頗る宜し。

 29 チェンチェン
 夏、稀に少し獲れる。黒味がゝつた金色で、六七寸くらいである。鎧を着て武装 してゐるような姿をしてゐる。味はよい。

 30 太刀魚
 七月頃から少し獲れる。全身銀色で巾三四寸位、長さ三尺位で、尾の方が尖って 劍の様な魚である。味は至極上等である。

 31 コナゴ
 ムグリとも言ふ。六月頃から獲れる。小指位の太さの五六寸位の魚である。味もいゝ。

 32 コマイ
 六月頃から獲れる。鰮などに混ぜて魚肥となす。鱈によく似てゐるが、六七寸から一尺 位の小さなものである。味はよくない。

 33 ホッケ
 コマイに似てゐるが少し大きい。然し數は少い。八月頃獲れて味も馬鹿にならない。

 34 秋刀魚
 八月頃少し獲れる。味よし。

 35 小鰹(がつ)
 九月頃少し獲れる。味は上等で値も相當張る。

 36 鰺
 小鰺は澤山獲れるが鰮に混つて魚肥になる。大鰺は少い。

 37 鰤
 八月頃獲れる。十四五年前は二三萬本も獲れたが、近年は少しも獲れない。

 38 ムヂ
 フナ位の大きさで形も似ている。季節は九月、多い時で十箱獲れる。味は よくないので粕にする。

 39 キナボ
 學名マンボーといふ魚で普通六尺四方位の扁平な魚である。大きいのは一丈四方 位ある。八月頃獲れて味は上等である。

 40 シリカツブ
 學名カヂキといふ魚で、頭の先に四五尺位の角を有してゐる。
 昔は磯船で二三里位沖へ行つて矛で刺して獲つてゐた。現在は稀にしか獲れない。

 41 フクラギ
 八月頃多く獲れる。黄緑色で一尺位である。味はよい。建網で主に獲れる。

 42 スズキ
 三四尺位、背にトゲあり。七月頃より一日二三十本位、多い時は百以上、鰮網で 獲れる。美味。

 43 ハタハタ
 鰰と書く。十一月から十二月頃多く獲れる。多い時はこの間に千箱位獲る。 五六寸から一尺位で、味のあつさりした魚である。

 44 鏡鯛
 八月頃極少し獲れる。
 熱帯魚エmmゼルフィッシュに似てゐる。
 銀色で鏡の様である。味よし。
 直径五寸位の圓い扁平な魚。

 45 シマ鯛
 八月頃ほんの少し獲れる。鏡鯛に似てゐるが小さく、三四寸くらいの直徑で、 縦にシマがある。味よし。

 46 鯛
 目の下二三尺のが一年に一マイか二マイ獲れる。

 47 ナマコ
 刺網で獲れるが極めて少數である。

 48 フヂコ
 ナマコの一種で、牡丹餅の如き形をしてゐる。鰈刺網で獲れる。不味。

 49 ホヤ
 フヂコに似てゐる。稀にしか獲れない。

 50 龜
 ニ三年に一匹位しか獲れない。主に靑海龜である。龜が獲れたら酒を飲まして 海に放してやる。決して殺さない。



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 51 カスベ
 カスベは鱏(えい)の類で、形は扁平で、正方形に近い菱形をしてゐる。全身は 灰色で、細長い尾を有し、それには短い小さな棘が澤山ある。
 延縄や手繰(てぐり)で獲れるカスベは、一尺平方位の小型なものであるが、發動木機 トロールなどで獲れるものは、二尺から三尺平方位の大きなものである。主として冬期に多く獲れる。
 カスベは、菱形の左右の鰭を三角に切取って、これを味噌汁や饅(ぬた)にして食べる。胴中は、そのまゝ 棄てるか、豚や鶏の餌にしてしまふ。
 巷間カスベは赤鱏であると信じられ、現に金田一博士も、橘正一氏の「カスベとは赤えひのことですが」 といふ質問に答へて、「赤えひのことです」と明言して居られる(橘正一氏「方言學概論」二七五ー二七六頁)。
 併し乍ら、カスベと赤鱏とは、實は全く別物である。尚當地方の發音は、カスベではなくカスペである。

 52 赤鱏
 赤鱏は、形はカスベに似てゐるが、カスベよりは大きく、普通三四尺平方位ある。色は褐色である。尾には、 直徑二分、長さ二寸位の鋭い針はの様な棘が一本だけある。
 この棘は猛毒を有つてゐて、これに刺されるとその傷口は決して治らない。と漁師達は恐れてゐる。
 赤鱏は、昔から食はれない魚とされてゐるので、誰もこれを食べない。抜取つた棘は、魔除けになると云つて、 乾して有つてゐる。蟲齒の痛む時には、患部へこの棘の先を入れてやると、直に痛みが止まる。また、これで突刺すと その傷口は絶對治らない、といふことを利用して、昔は果合ひなどの時にもよく用ゐたさうである。
 赤鱏の種類にはこの外、黒鱏、鳩鱏などがある。これらは、一年に一マイか二マイ位しか獲れない。これらも赤鱏と 同じく、陸へ持つて來る様なことはなく、沖でそのまゝ棄てゝしまふ。

 53 蟹
 蟹は、毛蟹が一番多く獲れる。毛蟹に就ては、蟹網の章で説明してあるのでこゝでは省く。
 尚、タラガニが少し獲れる。これは、學名をタラバガニといふのであるが、當地ではタラガニと云ふ。
 タラガニは、二月頃から五月頃まで獲れる。雄は賣ることが出來るが、雌は漁獲を禁じられえゐるので、獲れ ても賣ることは出來ない。その他、ヘタガニ、ヤドカリなども獲れる。


 54 海豹
 海豹は、タラガニが北の方からやって來る頃、一緒に南下して來るものである。
 海豹は、刺網にかゝつたり、陸へ這上つたりして捕へられる。海豹の肉は、脂肪が多過ぎて、味はあまり よくない。漁師達は、海豹と云はずトッカリと云ふ。



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二 川で獲れる魚

 當地には、幌別川、來馬(らいば)川、岡志別(おかしべつ)川等の川があつて、どの川にも 川魚が澤山ゐる。

 1 やまべ
 やまべはどの川にも棲んでゐる。
 春夏秋冬いつでも獲れる魚であるが、一番多く獲れるのは夏季である。夏になると 毎朝の様に、室蘭邊から汽車で、鐵道員や會社員らしいのが、二三人位づゝびくを腰に 下げてやまべ釣りに来る。
 驛から半里位奥へ這入つてから釣り始める。この邊から遡つて、大抵二里位上流まで行く。上へ 遡るに従つて、大きいのが澤山ゐるのであるが、二里位遡ると二三百匹位撮れるので、三里も四里も奥へ 遡る人は少い。
 餌は主として、鮭や鱒の筋子か、柳蟲などであるが、川の中の石に付いてゐる川蟲や、 蚯蚓などでもよく釣れる。
 この外、網で獲る人もあるが、これはあまり盛んではない。

 2 ユグイ
 ユグイは、海でも獲れるが、川で獲れる方が遥に多い。
 これは、川魚の項で説明してあるので、こゝでは省く。

 3 岩魚(いはな)
 この魚は多く川の上流に棲むもので、川下で獲れることは少い。
 どの川でも、水源に近い所まで遡ると、急流に大きな岩魚が澤山いる。
 岩魚は、釣つたり、ヤスで突いたりして獲る。

 4 カヂカ
 カヂカは、どんな小さな川にでもゐる。小さい流にゐるのは小さいのが多く、 大きい深い河に棲んでゐるのは、平均大きい様である。獲り方に就いては別項で説明している。

 5 鰌
 鰌は、あまり大きいのはゐない。泥の多い、水の流れの緩やかな小川が多い。
 鰌には、本鰌と鴉鰌の二種がある。本鰌は、體の色が茶色で、細長い形をしてゐる。 鴉鰌は、體が太く短く、色は薄茶であつて、體の眞中に、横に黒い線が一本ある。
 鰌は、誰も獲つて食べない。子供達が、小川で獲つて遊ぶだけである。

 6 八(や)ツ目
 十年位前までは相當ゐたが、今は稀にしか見えない。小さいもので五六寸位、 大きいのは二尺位もある。

 7 ノラボ
 鰌などゝ一緒に棲んでゐる魚で、體は、川の杜父魚(かじか)位の大きさである。 この魚は、特に流の緩やかな所を好む。鈍感な坂で、いつものらりくらいしてゐるので、この名が ある。味も悪く、數も少いので、誰も獲らない。

 8 サルガニ
 學名をザリガニといふ。川の石の間などに多く棲んでいる。形は海老に似てゐる。春四月頃に になると、腹に卵を抱いてゐて、川底の泥の中へ穴を掘つて這入つてゐる。
 サルガニは、肋膜の藥になると云つて、當地方ではなか々大切にされている。

 9 鮭
 鮭は、あまり小さな川へは遡らない。
 幌別川は、昔から當地方で一番鮭の遡つた川であるが、鑛山が始つてからは、上流で藥品を 流すので、年毎に減つてしまつて、現在では殆んど數へる程しか遡らない。
 當地方では、登別川の鮭が、一番美味であると云はれてゐる。それは、上流に温泉があるため、川水 が温いから、魚の味が良いのだと云ふ。
 鮭については別項で説明して置いた。

 10 鱒
 「鱒の話」の項で説明して置いたので、こゝでは説明を略す。

 11 イト
 昔は幌別川へも遡つたさうであるが、現在は殆んど遡らない。稀に海で一 二本獲れるだけである。

 12 鰻
 鰻は、棲んでゐる川と、全然棲んでゐない川とがある。岡志別川などには一本も ゐなり。幌別川でも、本流では數へるほどしか獲れないが、支流のヤンケシ川では随分澤山獲れる。
 鰻のことは、第三章の「鰻捕り」で説明しておいたのでこゝでは省く。



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三 貝類

 1 ホッキ
 當地で獲れる貝類のうちの代表的なものである。學名をウバ貝といふ。
 北海道の沿岸には大抵獲れるやうである。内地では靑森・岩手の兩縣に産することだけは 聞いてゐたが、過日「家の光」誌上で、福島縣にも獲れることを知つた。
 概して北へ寄るに従つて多い様である。故に「北寄(ほつき)」と云ふ字を當てたらしい。 新村博士の辭苑には「北寄貝(ほつきがひ)」と出てゐるが、當地では唯「ホッキ」と云つてゐる。
 ホッキの大きさは、一個百二三十匁位が普通である。海の深さによつて、海底の泥は色も異るので、 ホッキも棲息してゐる處によつて、色は一定してないが、大體に於て茶褐色のものが一番多いやうである。

 2 女郎貝
 貝の色は全體が眞白で、形はやゝ長目の楕圓形である。大きさは一個二三十匁位である。
 この貝は、色白ですんなりした形をしてゐるので、どこか吉原邊の女郎衆を想はせるところがある。 それでこんな仇つぽい名前がついたらしい。他に、その形が例のものに似てゐるからである、と云ふ 説もあるが、それなら敢へて女郎に限つた事ではないから、やはり前の説が本當らしい。
 ホッキ貝程ではないが、この貝もなか々風味がよい。

 3 油貝
 蛤に似た形をしてゐる。色は濃褐色で、貝の表面が油で磨いた様にすべ々してゐるので、この名がある。 一個の重量は十五匁内外である。殻はどの貝よりも薄く、毀れ易い。味もあまり上等ではない。

 4 蕎麥貝
 色も形も蕎麥餅にそつくりなので、「蕎麥餅」とも云はれる。一個十匁前後である。殻はどの貝よりも 堅く、表面は蓄音機のレコードの様にぎざぎざした、細い横溝がある。
 味は、少し辛味があつて、どの貝よりも不味い。
 女郎貝と、油貝と、蕎麥貝は、ホッキ貝のマンガンで、ホッキと一緒に取れるので、ホッキに對して これら三種を一括して、「女郎貝」又は「屑貝」などと云ふ。

 5 カモ貝
 カモとは、當地方の方言で男根の意である。カモ貝は、俗に潮吹きと稱する部分が、太く長く、約三寸位も 貝の外へ突出てゐて、而もそれが皴のある外皮を被つてゐて伸縮自在なので、男根を想像させるに充分である故この名がある。
 この貝は陸に近い淺海ではあまり獲れない。多く深海の泥の中に棲んでゐる。味は非常に良い。

 6 ニタリ貝
 この貝はカモ貝とは反對に、形が女のそれに酷似してゐる。何となく似てゐて、誰の眼にも一見して、 無條件にそれと頷かせることが出來るので、いつの間にかシユリ貝と云ふ本名が忘れられて、専ら愛稱の似たり貝で通つてゐる。
 この貝は、海中の岩などに、澤山附着して棲んでゐる。時化になると浪にもまれて、昆布や、わかめなどと一緒に陸へ上る。この貝も、 カモ貝の様に大變味がよい。

 7 蛤
 内地の蛤より圓味が少く、少し平つたい。殻は厚くて頗る固い。極く岸近くに棲んでゐるので、時化毎に陸へ打上げられる。大きさは、 小さい油貝位である。味は非常に良い。
 この貝には、綺麗な色々な模様があるので、子供等は、肉を食べた後の貝殻を玩具にして遊ぶ。



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四 海鳥

 1 眞鴨(まがも)
 凪のよい時など、二三羽位づゝ一群になつて遊んでゐるが、時化が 近くなると、海を引上げて河や沼へ行つてしまふ。
 眞鴨は、他の鳥の様に長時間潜つてゐることが出來ないので、浪が 大きくなると、静かな河や沼へ引越すのである。肉は非常にいゝ。

 2 黒鴨(くろがも)
 海にはいつでも居る鳥である。
 眞鴨より幾分脂肪が強いけれど、肉味は上等である。鯛は眞鴨位の大きさ であるが、至つて頑丈で、三十尋位の底まで潜つて魚を襲ふため、よくカニ刺網などに引かゝる。
 全身眞黒で、翼の先だけが少し白い。雄は鼻の所に、鴬鳶の様に黄色のコブがある。

 3 アイサ
 眞鴨や黒鴨と違つて嘴が尖つてゐる。そして體は前二者より少し小さい。樺色で、 雄の頭は鷺の様に後へ毛が立つてゐる。肉味は普通である。

 4 シチリ
 アイサと同じ嘴である。體はアイサより少し小さい。羽毛は頸と翼が白く、他は黒色である。 肉味はアイサに似てゐる。
 5 ヘイケタオシ
 セイシ鴨ともいふ。海の鳥の内で一番大きい。-大きい七面鳥位ある。
 背、翼等は灰色で腹は白い。嘴は鋭く尖つてゐる。味は上等である。
 此鳥の啼聲は、遠くで人が呼んでゐるようにオーイ、オーイと大きな聲である。
 昔、敗走した平家の一族が、夜に入つてある島蔭に隠れて陣をたて直さうとしてゐたら、遠くから、 オーイ、オーイと大勢の聲がするので、、ソレ源氏が來た!とばかり、取るものもとりあへず 舟を漕いで、夢中で逃げて次の島へ行つたら、其所で源氏の爲に皆殺しにされえしまつた。
 其時前の嶋でオーイゝと言つたのは、セイシ鴨の一群であつた。それ以來ヘイケタオシ(平家倒し)の名がある。

 6 アオナ
 眞鴨より少し小さい。嘴は同じである。背だけ黒く他は白い。尾は雉の尾の様に細く長い。 雄の頭にはアイサと同じく鷺の様な毛がある。肉味は良い。
 此鳥はアオナ、アオナと可愛らしい聲で啼くので、啼聲をそのまゝ名前にしてゐるのである。
 7 ガツカラ鴨
 アオナ位の大きさで、毛色もアオナに似てゐるが、アオナの如く尾は長くない。そして頭の後方に 出てゐる毛もない。肉味は普通。

 8 オシドリ
 夏の凪の良い日に時々見えるだけである。

 9 海雀(うみすずめ)
 嘴は尖つてゐて、翼と背は黒く、腹は白い。大きさは鶏の五十日雛位の大きさで、 澤山ゐる。肉味は普通である。

 10 ツナギドリ
 アオナより少し小さく嘴は尖つてゐる。羽毛の色は黒く、鼻穴の所に大きなコブがある。 肉味は普通である。

 11 ウノドリ
 鵜のことである。

 12 ゴメ
 鴎のことである。

 13 シカベ
 約五里位から沖にばかりゐる鳥で、烏賊釣り、サガ釣り、などの時で なければ見られない。ゴメ位の大きさで灰色をしている。

 14 チカツプ
 鶏の六十日雛位の大きさで、アイサによく似てゐる。毛色はカーキー色である。
 渡り鳥で、六月頃西の方から五六十羽位の群をなして來る。多い時にはこの群が四五百位 (數千羽)も集まる。この鳥が来ると小鰊、ヒラゴなどの鰮が近いのである。

 18 ウミタカ
 鵜位の大きさで、ゴメに似た體をして、色は灰色である。海の鳥のうちで一番強い鳥である。


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